ときめき part 1

ニア・ソーリー村(イギリス)

絵本「ピーター・ラビットのおはなし」の作者ビアトリクス・ポターは、このニア・ソリー村で後半生を過ごした。彼女が暮らしたヒル・トップ農場は村の東端の丘陵にある。

この村では、石垣で囲われたパドック(牧場)で、羊たちが長閑に草を食み、時間がゆったりと流れている。

村の中心が、20軒ほどの集落に過ぎないイングランド北西部湖水地方のほんの小さな村とはいえ、ピーター・ラビットのお話の多くが、この村を舞台にして創られている。

2005年6月



 

ライダル・マウント(イギリス)

 イギリスの桂冠詩人ワーズワースがこよなく愛した終の棲家が、彼は、1813年43歳のときここに移り住み、亡くなるまでの37年間を過ごした。館は、湖水地方のウインダミア湖とライダル湖が見渡せる高台に建ち、館内には家具調度品、蔵書など数々の遺品が残されている。庭園では、彼が好きだった水仙をはじめ、いろいろな花々が四季折々に咲き競い、鮮やかな彩を添えるといわれる。  2005年6月     

ウィンダミア湖(イギリス) 2005年6月

 ウィンダミア湖は、イングランド北西部の湖水地方の数多くある湖や池の中で最も大きい。

クルーズを終えて湖岸に降り立つと、白鳥や鴨などの水鳥たちが暖かく出迎えてくれた。

鳥たちには人間を恐れる気配が全くない。鳥と人間との信頼関係は、どのくらいの時間をかけて築かれたものであろうか?

チェスター(イギリス)

チェスターは、イングランド北西部にある。
蛇行するディー川を外堀のように利用し、長方形の城壁に囲まれた町である。

イングランドで最も中世の面影を残す町、といわれるだけあって、白壁と黒いチェンバー(梁)の建物が至る所にある。
まるで絵本から抜け出してきたような町のたたずまいでもある。

子供たちが輪になって見物しているのは、ここを訪れた人々を楽しませてくれる地元観光協会のイベントの一つである。

2005年6月

グロースター大聖堂(イギリス)

グロースターの町は、コッツウォルズ地方の北西部にある。
そこにあるゴシック様式の大聖堂は、古色蒼然として、威厳に満ちた雰囲気をかもし出している。

この大聖堂は、映画「ハリー・ポッターと賢者の石」、に出てくるホグワーツ魔法学校の内部のシーンとして、いくつか使われている。

2005年6月


 

ブロードウェイ(イギリス)

荷馬車が主たる交通手段であった中世において、広い道幅を持った町並みが続いていたところから、ブロードウェイという地名がついたといわれる。

道路に沿って、当時のままの古い建物が至る所に残り、今でも人々がそこに暮らしている。

空き地では、ラビットたちがお昼の散策を楽しんでいた。われわれがそっと近づいても、全く逃げる気配もなかった

この地はコッツウォルズ地方の北部に位置する。

2005年6月


カースル・クーム(イギリス)

 コッツウォルズ地方の南部に位置するカースル・クームは、イギリスで最も古い町並みが残っている村と言われる。

中世には毛織物が盛んで、ここが毛布発祥の地である。それは、この村に住んでいたブランケツト兄弟が考案し,世界中に広まって行った。

2005年6月


ストーンヘンジ(イギリス) 2005年6月

 ストーンヘンジはイングランド南西部にのびやかに広がるソールズベリ平原にある。

紀元前約3000年頃に造られたとされる古代遺跡で、何のために造られたかは、いまだに謎のままだ。

子供たちが先生に引率されて、写生にきていた。もう、お絵かきにも飽きて、おもいおもいに遊び興じていた。

バース(イギリス) 2005年6月

 バースはロンドンの西方約150kmに位置する保養地で、お風呂の語源となったと言われる。

古代ロ−マ帝国がイギリスを支配下においていた時代に造られた浴場が、ローマン・バス・ミュージアムとして保存されている。

現在この温泉に入ることは出来ないけれども、2000年の歴史を秘めて、誘い込まれるような青緑色の温水を湛えている。

エジンバラ城(イギリス)  2005年6月

エジンバラは北海に面したスコットランド地方の中心都市で、かって、スコットランド王国の首都として栄えた。 

エジンバラ城は、築城以前から天然の砦として利用された
高い岩山に建っている。

過去に、幾たびもの戦闘と改造を経験した、重厚な古城といつた印象である。

現存する建造物の中では、1110年に建てられたエリザベス礼拝堂が最古といわれる。





城内のいろんな場所で、黒々とした射石砲やカノン砲が、砲口を城外に向け、睨みを利かせている。









    
エジンバラ城からの眺望

城を訪れた日は、たまたま、エジンバラ・マラソンが開催されていて、城の近くでレースを見学する幸運にも恵まれた。



  ロンドン(イギリス) 2005年6月

リージェント・パークは、もともと英国王室の狩猟場で、18世紀末一般に開放された。

広さは190万u、東京ドームの約40倍である。
園内は、いたるところバラの見ごろで、特に、懸垂掛けのバラ棚が印象的であった。





   



 
リージェント・パークでデート











 ピカデリー・サーカスはロンドン屈指の繁華街である。メインストリートに面したやや古色蒼然としたビルの回廊に、似顔絵描きの集団が屯していた。

似顔絵客の表情が、「ハイ! チーズ!」とはいかず、何となく真剣勝負といった緊張感を、漂わせているのが面白い。







ピカデリー・サーカスの繁華街から路地裏に入ると、ストリートマーケットが開かれていた。

色鮮やかな果物が並び、若い商人の威勢の良い呼び声が聞こえる活気にあふれた店もあれば、なじみ客を相手に地道に商いを続けているような店もあって、興味尽きない。






ケンジントン・ガーデンは、元はケンジントン宮殿の庭園であったが、19世紀中頃に一般開放された。面積は27万u、東京ド−ムの約6倍である。

この写真の広場は、白人が独占。
一方、広場の東側に広がる大きな池の周辺部は、イスラム移民が占め、庭園内でも、白人と移民との棲み分けを感じてしまった。

シュテュッガルト 1 2004年11月下旬

ドイツのクリスマス市


11月下旬からクリスマスに向けて、ドイツ各地でクリスマスマーケットが開かれる。

夕刻から夜にかけては、勤め帰りの人々も加わり、マーケットはさらに賑わいを見せる。


オーナメントやクリスマスプレゼントの品々を取り揃えた店、ソーセージなどの食べ物の店、ジュ−スやワインなどの飲み物の店などが、街の広場や路上に所狭しと立ち並んでいる。


ドイツはこの時期になると、夜の寒さがことのほか厳しくて、体の底まで冷え込んでしまう感じがする。

赤ワインを温めて陶器のカップに入れて売っているグリュウワインを飲むと体の芯が暖まってくる。


クリスマス市は、オーナメントやプレゼントを探す場所であるばかりでなく、グリュウワインを片手に仲間、恋人、家族などが、賑やかに、楽しく語り合う社交の場ともなっている。



シュテュッガルト 2 2004年11月下旬
ハイデルベルグ 2004年11月下旬
ニュルンベルグ 2004年12月上旬
ニュルンベルグ 2 2004年12月上旬
ニュルンベルグ 3 2004年12月上旬
ウルム 2004年11月下旬
ヴュルツブルグ 1 2004年12月上旬
ヴュルツブルグ 2 2004年12月上旬
ローテンブルグ 2004年12月上旬

カルカソンヌ(フランス)

トゥールーズから車を進めると、平原の遠くに台地状の城郭が蜃気楼のようにあらわれ、しだいに、車窓いっぱいに拡がってきた。

カルカソンヌは、二重の城壁に囲まれた中世ヨーロッパ最大の城塞都市である。「カルカソンヌを見ずして死ぬな」という言い伝えもあるという。

 5世紀、西ゴート族が、この地に外壁の建設をはじめ、以後、数世紀に亘り、時々の権力者によって、拡張の歴史が刻まれてきたといわれる。

城塞内には1,000名近くの人々が住み、今は遺跡となった城・教会・劇場などを利用して、レストラン・ホテル・みやげ物屋などを営み、観光地として賑わっている。

夜は、城郭全体がライトアップされ、幽玄境に誘い込まれたような心地になる。

2000年10月

エクス・アン・プロヴァンス(フランス)

エクス・アン・プロヴァンスは、紀元前122年ローマ帝国が属州の地に、最初に建設した町である。樹齢400年ともいわれるプラタナスの街路樹が緑豊かに茂るミラボー通りの北側に、旧市街が1日かけて歩き廻るのに、程好い広さで拡がっていた。

ここは、美術愛好家にとっては、セザンヌが生まれ育った土地として、つとに名高く、彼が描きつづけたサント・ヴィクトワ−ル山も東方に粛然と聳えている。ベルダン広場の朝は、南仏らしい色鮮やかな食材が並べられた朝市で賑わっていた。

日が昇るにつれて、町にはいっそうの彩りを添えるように、若者たちが満ち溢れ、この町が古くから学術都市として栄えてきたことを覗わせてくれる。

2000年10月

アルル(フランス)  2000年10月

スイスのレマン湖を発したアルプスの水は、ローヌ川となってリヨンを経て、遥か遠くの地中海に注ぎ込んでいる。その河口部に位置する都市がアルルである。その南部には、野生の白馬やフラミンゴが遊ぶ東京都の8割程の広さを持つカマルグと呼ばれる広大な湿地帯が形成されている。
アルルは、古代劇場・円形闘技場など多くの古代ロ−マの遺跡が残り、ゴッホがゴ−ギャンら画家仲間を誘って、数々の名作を残したことでも知られている。彼の作品「夜のカフェテラス」のモデルとなったカフェがある。                                                                    

エズ 鷲の巣村(フランス) 2000年10月

モナコ・ニース・カンヌにかけての紺碧海岸コート・ダジュールの背後は屹立する岩山で、鷲の巣村と総称される村々が散在している。 中世、サラセン人の侵攻に備えて、城砦や家々が、海からは山に隠れて見えないよう、巧みに配置して造られている。

 香水で知られるフラゴナールの工場は、エズにあった。

中世、この鷲の巣村を造った人々は、後世になって、東洋の異邦人が、大挙して押しかけて来ようとは、おそらく夢想だにしなかったであろう。

ショパンの生家(ポーランド)

 ショパンは、1810年ワルシャワから50kmほど離れたジェラゾヴァ・ヴォラにあるスカルベク伯爵の屋敷内のこの家で生まれた。フランス人の父は,当時,スカルベク家の家庭教師をしていた。

 訪れた日は幸いにも日曜日で、定例的なピアノコンサートが催されていた。  観客席は屋外に設けられ、クロウタドリが競うようにさえずり、微風にライラックが香り、ポプラの綿毛が浮遊する心躍る春の華やぎのなかに、ショパンの繊細で清冽な旋律が流れていた。

2001年5月

ゲッレールトの丘(ハンガリー)

 丘の名は、11世紀初頭異教徒により、この丘からドナウ川に投げ込まれ、殉教したイタリアの伝道師に由来する。左手が王宮や城を擁するブタ地区、右手が旧市街のあるペスト地区。中央には、両地区を結ぶ最も古い橋であるくさり橋や島全体が公園となっているマルギット島が見える。

 ライトアップされた王宮やくさり橋の夜景は幻想的で、旅人は、夢の世界にいる思いがする。夜半なのに、橋上で、釣り糸を垂れる人たち、家路を急ぐ1人歩きの女性と出会ったりすると、ブタペストは意外と安全なのかと思ったりする。
2001年5月

ブタベストの中央市場(ハンガリー)

 中央市場は自由橋のたもと、ドナウ河岸にある鉄骨組みの、近代的で、開放的な、大きな建物の中にある。

1階は、野菜・果物・ハム・チーズ・ソーセージ・ワイン・香辛料・みやげ物など主に食料品の店が並んでいる。種類が豊富で、新鮮、値段も市中の店より安いと言われる。
2階は、刺繍製品の店、カフェなどが回廊式に店開きしている。

 この市場には、ブタベスト市民ばかりでなく、みやげ物を買う目的で観光客もたくさん訪れてくる。
2001年5月

チェスキー・クルムロフ(チェコ)

 チェコ南部のヴァルタヴァ川がS字型に湾曲した当地に城が築かれたのは13世紀と言われる。町の発展期は14〜16世紀で、今も中世のたたずまいをそのまま残している。

 ゴシック,ルネサンス、バロック様式の歴史的建造物が数多くあるが、マグラフィットという掻き落し技法で描かれた建物の壁絵が特に印象的だった。傘を差し、濡れた石畳を歩きながら、驟雨も古都には似合うなぁ、しかし早くレストランでピルスナービールを飲みたいな、とも考えていた。

2001年5月

プラハ・旧市街広場(チェコ) 2001年5月

 これは、高さ69メートルの旧市庁舎の塔から旧市街広場を見下ろした眺めである。

この広場は、中世以降近代まで、政治的な処刑、市民のデモなどが行われた歴史を秘めている。

広場中央には、15世紀に宗教改革を断行し処刑されたカレル大学総長ヤン・フスの像が建っている。

旧市庁舎には15世紀に作られた天文時計があって、定刻になるとキリストの12使徒のからくり人形たちが回り出し、広場の人気を独占している。

スペイン乗馬学校 (ウィーン・オーストリア)

 世界で最も古い歴史を持つといわれる乗馬学校は、ウィーン王宮の多くの建物のなかの一つにあつた。青天井の馬場を予想していたのに、この華麗さは何だ。ハップスブルク帝国がスペインやアラブの駿馬を集めて、軍事目的の調練を行なったのが始まりといわれる。馬場は1735年の完成である。

 訪れた朝は、馬の静かなる踊りともみてとれる華麗な演技の調練が行なわれていた。観客に日本人の姿はない、思えば乗馬が日本の日常生活から消えて久しい。観客は老若男女を問わず、熱心に演技を見つめ、簡単に腰をあげる気配はなかった。
2001年5月

南仏ポン・デュ・ガール (フランス) 2000年10月

ガール橋は、ローマ時代(BC19年)、ユゼスの水源からニームに飲料水を送るために造られた全長50kmの導水路の1部である。

高さ49m、長さは最長部分で275m、3層のうち最上層のアーチを水が流れる構造になっている。積み上げられた石材は重いもので6トン、送水能力は2万u/日と言われる。       

全長50kmに及ぶ導水路の標高差はたったの17m、その技術の高さには驚かされる。橋は、19世紀ナポレオン3世の命により修復され、現在世界遺産に指定されている。

ピカソ美術館 南仏アンティーブ Antibes(フランス)

運よく雨の日に訪れたピカソ美術館。雨が降り込み暗く彩られた地中海は、不気味な美しさをとどめていた。第二次大戦後の1946年、ピカソは現在美術館となっているこのグルマルディ城という格好のアトリエを得た。スペースにとらわれず、思う存分ダイナミズムを発揮し、大作に取り組んだと言われる。この美術館にはピカソの作品だけでなく、現代美術の秀作が多く展示されている。

2000年10月